そのようなわけで、ヒドラとアントラー(をイメージしたオリジナル怪獣)を作ったわけだが、鳥型と甲虫型であって、これはなかなかに楽しい挑戦であった。
 まずは鳥型怪獣の決定版とも言うべきヒドラだが、先行する空の大怪獣と言えばもちろん「空の大怪獣ラドン」(1956年)があり、これは第一作「ゴジラ」(1952年)、大ヒットを受けて急遽制作された暴龍アンギラスとの怪獣初格闘が描かれる「ゴジラの逆襲」(1953年)に続く東宝怪獣映画の第三弾であり、本邦初の総天然色、すなわちフルカラーの怪獣映画であった。ゴジラが海の怪獣、アンギラスが陸の四つ足怪獣であるから、今度は空を飛ばそうという発想であろう。最初のデザイン画や粘土造型の試作写真を見ると、羽毛的な意匠がうかがえたりもするが、最終的には翼竜的な皮膚表現に落ち着き、劇中でも「白亜紀に生息したプテラノドンの生き残り」という設定が語られる。
 羽毛があろうがなかろうが鳥型怪獣にたいした違いはないとの声も聞こえるが、いやいやそんなことはない。恐竜で考えてみると、ティラノサウルスやヴェロキラプトルなどの鳥型恐竜と、プテラノドンを含む翼竜とはまったく違う。そもそも翼竜は恐竜でさえない。恐竜図鑑には載っているが、分類的には、恐竜が恐竜に進化を遂げる以前に枝分かれした遠い親戚でしかない。プテラノドンよりも、我々が日々目にするハトやカラスの方がティラノサウルスとずっと近縁なのだ。
 もちろん、翼竜はカッコいいしスゴイ。それまで昆虫の独壇場だった空を脊椎動物としてはじめて飛んだのは彼らだ。翼をくださいのあの人もこの大空を自由に飛びたかったら翼竜を目指すのが正しい。
 そして実際に恐竜も翼竜の後に続けと空に向けて進化の挑戦を続けた。指と胴体の間に皮膜を張り巡らせて飛翔を成し遂げた翼竜との別アプローチとして恐竜が使ったのが、そう、羽毛を重ねて作った翼である。歌の通りに神様だか誰様だかは翼をくださったわけだ。
 鳥が恐竜から進化したという説は実は全然新しいものではない。始祖鳥として有名なアーケオプテリクスの化石が最初に記載されたのは1864年であり、ダーウィンの「進化論」が出版された二年後である。
 神が全ての創造主であるとマジで信じられていた19世紀のこと、「進化論」は大バッシングを受けた。生物は進化と絶滅を繰り返して入れ替わり立ち代わり変化していく、という進化論は創造主としての神を否定することになり、当時の常識をひっくり返す暴論であった。
 それぞれその形で神に作られた生物が勝手に変化(進化)なんかするわけない。当時の識者たちがそう言ってダーウィンを排斥しようとする最中に、アーケオプテリクスが颯爽と飛翔したのである。ミッシングリンク、中間化石。ほら見ろ、こいつは恐竜が鳥に進化しようとする途中の生物であるぞ、というわけだ。
 当時の古生物学者ハックスリー博士は「ダーウィンの番犬」とあだ名がつくくらいに進化論の擁護者で、進化論に異論を唱える学者、知識人、ジャーナリストから聖職者にいたるまでケンカを売りまくっていたらしい。現代ならSNS大炎上の論破野郎だ。ともかく「鳥が恐竜から進化した」とする学説は、ハックスリー博士がもう百年以上も昔に唱えた説である。
 鳥は天使につながるが、トカゲやらヘビは悪魔につながる。恐竜もその類であり、ドラゴンももちろん悪魔の化身だ。百歩譲って「進化」を認めたとしても、「恐竜が鳥に進化した」などという学説が、当時のヨーロッパで受け入れられるわけがなかった。
 とはいうものの、さすがに百年たてば人の考えも変わると見えて、キリスト教徒も(一部の原理主義者をのぞいて)しぶしぶ進化論を認め、今や「鳥が恐竜から進化した」どころか「鳥は恐竜の一種である」ということになっているわけだが、ハックスリー博士の「鳥≒恐竜」学説を現代に蘇らせたのが誰あろうオストロム博士であり、1964年のデイノニクス発掘と研究で始まり、70年代に広まった「恐竜ルネッサンス」を通してのことである。
 映画「ジュラシックパーク」シリーズではずっとヴェロキラプトルと呼ばれているが、あれがデイノニクス。映画製作当時に一瞬だけ同種異名説が出た(結局否定された)のをいいことに、ヴェロキラプトルというネーミングが気に入ったスピルバーグ監督が名前だけ使ったらしい。
 さておき、デイノニクスの骨格はどう考えても鳥そっくりで、走る猛禽類といった風情であり、鈍重なオオトカゲとは全然違う、というのがオストロム博士の説。きっと羽毛だってあったんじゃないか、と唱えても、現代にあってなお「鳥は天使、トカゲは悪魔」のイメージは強固で、誰も信じなかった。
 中国遼寧省から大量の羽毛恐竜の化石が続々と発掘されたのは、冷戦が終結し、中国やロシアに西側諸国の研究者の出入りが簡単になった90年代になってから。イエール大学で教授職にあったオストロム博士の退職にギリギリ間に合ったようだが、半生かけて主張した「鳥≒恐竜」説が実証されてさぞかしうれしかったことだろう。
 そしてヒドラだ。確かに先行する「ウルトラQ」に、リトラやらラルゲユウスなどといった連中はいるが、あれはやはり現生鳥類の大型化であり、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(1966年)に登場する大コンドル(操演人形がリトラに改造されている)とか、アラビアンナイトのロック鳥に近いものだろう。オストロム博士の「鳥≒恐竜」説、すなわち恐竜ルネッサンスを踏まえた「鳥≒怪獣」は、やはりヒドラが本邦初であり本邦初ということはつまり世界初であろう。後続の鳥怪獣には「帰ってきたウルトラマン」のテロチルスや「ウルトラマンタロウ」のバードンなどがあげられる。近年(2016年)の「ウルトラマンオーブ」にもマガバッサーというやつがいるな。
 そもそも怪獣は恐竜の生き残り設定が基本である。これはもう「ゴジラ」(1954年)以来の伝統であり、「恐竜≒怪獣」なのだ。そして今や「鳥≒恐竜」が定説となっているのだから「鳥≒怪獣」はもっとたくさんいてもおかしくない。それなのになかなか登場しないのは、着ぐるみ表現としての羽毛が難しいからだろう。
 材質的にゴムというか樹脂系の素材を使うことが定着している造形美術の現場にあって、人造羽毛で一体作るなんてことは簡単にできることではないのは想像がつく。ヒドラの着ぐるみも樹脂系素材による表面造型は羽毛というよりウロコにしか見えないもんな。テロチルスにしてもバードンにしてもマガバッサーにしてもだいたい同様の表現だ。バードンはトサカに繊維を使ったりして羽毛感を出しているが、それで全身を覆うということはしていない。
 大コンドルやリトラやラルゲユウスはちゃんと羽毛になっているのだから、やってできないことはないはずだが、操演人形は人が着る着ぐるみよりは表面積が小さいから何とかなるという材料費や技術的な問題よりも、やはり可愛くなってしまうとか迫力が失われるというイメージの問題があるのかもしれない。
「鳥は天使、トカゲは悪魔」というキリスト教(あるいはもっと古くギリシャ神話)的なイメージからは、関係ないはずの我々日本人でも逃れられないのか。怪獣は禍々しく悪魔であれ、トカゲであれ、というような。
 哺乳類の怪獣も見当たらない。ゴジラよりもさらに元祖とも言うべきキングコングが唯一だろうか。「ウルトラQ」のゴローも猿だが、「キングコング対ゴジラ」(1962年)でゴジラと戦ったコングの着ぐるみの頭だけをすげ替えたものだからほとんどコング本人だろう。あ、考えてみれば、全身ロン毛のウーは哺乳類っぽいな。ヒドラの下半身を使いまわしたギガスも雪男怪獣というからには哺乳類か。「ウルトラセブン」にもゴーロン星人がいたな。はい。結構いました。
 さておき、ぬいぐるみ(着ぐるみ)で、鳥やら獣やらのモフモフ系は、それこそクマのぬいぐるみっぽくて怖くなくなってしまうのではないか。おそらく空の大怪獣の元祖、ラドンもそのようなイメージの問題で、鳥ではなく翼竜の設定に落ち着いたのだろう。
 さて、そんな中でヒドラは果敢にも「鳥≒恐竜≒怪獣」を最初に実践した怪獣であり、劇中でも「有史以前から日本に生息する始祖鳥」と語られる。おお始祖鳥。アーケオプテリクス。
「ウルトラマン」が製作・放送されたのは1966~67年だから、1964年のオストロム博士によるデイノニクス発掘は三年前か。ぎりぎり間に合ってはいるが、まだ「恐竜ルネッサンス」は始まっていない。先見の明があったのかもしれないが、実は明確な全然別の事情があったと推察される。
 本作、ウルトラマン第20話「恐怖のルート87」は伊豆のシャボテン公園とのタイアップで製作され、公園名物の石像を怪獣化して登場させるというプロットありきの怪獣だったのだ。デザインは成田亨だが、オリジナルデザインというよりは、実際の石像をデザイン化したといった趣。この石像は検索すれば画像が出てくるが、ワシの頭にライオンの身体で背中には翼を生やしている。ヒドラが鳥型怪獣なのは「恐竜ルネッサンス」とは関係なく、石像がそうなっていたからなのだ。
 ワシの頭にライオンの身体で背中に翼となれば、鳥型怪獣というよりギリシャ神話のグリフォンそのものなのだが、それにしては名前がヒドラって。ヒドラ(ヒュドラ)と言えば同じギリシャ神話の怪物で、ヤマタノオロチそっくりの九つの頭を持つ大蛇である。クラゲの親戚でヒドラという名前の生物も実在するが、これもその多数の触手を持つシルエットが多頭蛇に見えるからつけられた名前だろうから、やっぱりヒドラは本来ヘビ怪獣向けのネーミングと思われる。ヒドラをヒドラと名付けたのはシナリオの金城哲夫だろうが、東宝特撮「緯度0大作戦 」(1969年)に登場するライオンにワシの翼を移植して、さらに女幹部の脳みそを移植した「グリホン」とのカブりを気にしたのか。いや、「ウルトラマン」(1966~67年)の方が二年も先だしな。あるいはグリフォンでは怪獣名としてゴロが悪いと考えたのであろうか。
 ちなみに、伊豆シャボテン公園の石像は、今でも健在で、ウルトラマンに登場した後、「仮面ライダー」でショッカーの基地にも使われたりして、特撮ファンの聖地巡礼の対象になっている。あまりにもヒドラとしての活躍が印象的だったらしく、現在では公園職員までが「ヒドラの像」と呼んでいるのだとか。それはそれでいい話だな。
 ギリシャ神話のグリフォンは、ゼウスやアポロンの車を引いたとされるギリシャ神話の善玉怪物の代表選手であり、馬と交雑すればヒッポグリフとなり、人の顔がつけばスフィンクスにもなる。悪役、殺され役専門のヒュドラとは格が違う。
 グリフォン怪獣たるヒドラだって交通事故で死んだ少年のために国道の車を壊して回ってひき逃げ犯を探す、くらいのことをしてもおかしくない。優しいのだ。考えてみれば、少年の願いを聞いてゴメスと戦ったリトラも、淋しい孤児と心通わせたラルゲユウスも、聾唖の青年に寄り添うゴローも、村八分にされた孤独な少女・雪ん子に呼ばれて出てくるウーも、鳥類・哺乳類系の怪獣はみんな優しいじゃないか。ゴーロン星人は普通に極悪だが弱い。ギガスだってレッドキングのパシリ扱いされた上に科特隊の攻撃で簡単に殺されておるわい。弱いやつか優しいやつかのどっちかだ。凶悪怪獣は悪魔イメージにつながるトカゲ恐竜型でなくてはみんな納得しないのだろう。
 やはりこれは、爬虫類を怖がるヒトの本能に根差していると考えるべきか。あるいは、ギリシャ神話(~キリスト教)が広めたイメージはそんなに強力だったのだろうか。では、そんなギリシャ神話の神獣グリフォンの成り立ちに恐竜化石がひと役買っている(かもしれない)という話をしよう。
 いや、これは単に俺が勝手に言っているだけなのだが、ギリシャ神話を考えた人はどこからワシの頭にライオンの身体を合体させることを思いついたか。何か具体的なモデルがあったのではないか。そこで思いつくのがシルクロードである。
 言うまでもなくシルクロードは紀元前2世紀から15世紀半ばまで千七百年の長きに渡って西洋と東洋を繋ぎ、交易と文化交流の中心であった交易路である。そしてこの道はモンゴルのゴビ砂漠のど真ん中を通っており、モンゴル・ゴビ砂漠と言えば恐竜化石の名産地である。
 化石発掘と言えば以前福井県の恐竜博物館で化石発掘体験コースに参加したのだが、まず岩石が割れないのに辟易した。専用のハンマーでぶっ叩いてもなかなか割れない。これでどうやって化石を掘り出すのだと首を傾げたものだ。実際の発掘現場ではダイナマイトで爆破したりもしているらしいが、ゴビ砂漠ではそんな必要がない。土がいいのだ。なんせ砂漠だしな。素手でも簡単に掘れる砂みたいな土壌であり、掘るまでもなくあちこちから化石が顔を出しているらしい。そんな夢のような光景なら見てみたい。日本からも発掘体験ツアーが組まれているが海外だし高額だし気軽には行けません。
 ちなみに地表に露出している化石はそのほとんどがプロトケラトプスのものだと聞く。プロトケラトプスと言えば、北米産トリケラトプスの近縁種であり、角竜の元祖。ヴェロキラプトルもモンゴル産であり、有名な格闘化石(プロトケラトプスとヴェロキラプトルがくんずほぐれつした状態で発掘された化石)もモンゴルで見つかっている。
 シルクロードを行き交う東西の行商人だって地表に露出したプロトケラトプスの化石を千七百年間ずっと日常的に見ていたに違いないのだ。さあ、ここでプロトケラトプスの顔を思い出してほしい。ケラトプス類はみんなそうだが、彼らには前歯がなくクチバシ状になっている。そう。パッと見、鳥(ワシ)の顔をしているのだ。
 ギリシャ神話の成立は紀元前15世紀までさかのぼるとも聞くが、体系的にまとめられたのは紀元後になってからだ。「鳥の顔をした四足獣の骨」を見たシルクロード行商人からの伝聞がグリフィンのイメージの源泉にならなかったと考える方が無理がある。グリフォンの正体は恐竜プロトケラトプスだったのだ。アラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」も原典は中国宮廷説話だと言うではないか。
 ところでモンゴルでは格闘化石と並んでもうひとつ有名かつ重要な発見がある。オビラプトル類の巣の化石である。しかも親恐竜が巣の上に覆いかぶさって抱卵している状態で発掘されたのだ。卵を抱いて温めるのは言うまでもなく現生鳥類の習性だが、これは恐竜から受け継いだものだったのだ。おお、ここでもまた「鳥≒恐竜」説が補強されたぞ。
「ラプトル」はそもそもラテン語で猛禽類のことだが、「略奪者」の意味もある。ヴェロキラプトルは「俊敏な略奪者」であり、「オビ」は卵で、オビラプトルの名前は「卵泥棒」ということになる。最初に発掘されたとき(1924年)も、やはり巣と卵とともに見つかったのだが、そのときはまさか抱卵していたとは誰も気づかず思いつきもせず、これはきっとプロトケラトプスの卵を盗もうとしていたに違いないとして「卵泥棒」と名付けられてしまったわけだ。とんだ濡れ衣もあったものですな。
 オビラプトルの顔つきは、ヴェロキラプトルのトカゲっぽい顔とは全然違う。プロトケラトプスよりもさらに鳥っぽい。しかも猛禽類ではなく、オウムにそっくりである。すでに歯は一本もなく完全なクチバシで、トサカまであったというから、そりゃもう鳥そのものだろうよ。で、このクチバシの形状が卵を噛み砕くのに適していると考えられたのも名前の由来らしい。近隣から貝類の化石が見つかるから、貝を食べるのに適していたのかもしれないが、濡れ衣ではないと卵泥棒説を唱え続ける学者もいるようで、いわくオビラプトルの巣の化石から、明らかにオビラプトルのものではない卵が見つかるのだそうな。自分の卵を温めながら他人の卵を食べるのか。まあそういうこともあるかもしれないが、他人の卵って、その他人って誰なんだよというと、どうやらヴェロキラプトルらしい。
 ここで俺はまたしても妄想する。プロトケラトプスの巣(の化石)は見つかっている。オビラプトルの巣も。だがヴェロキラプトルの巣はまだ見つかっていない。だからこそ真鍋博士あたりが樹上営巣説を唱えてらっしゃる。地面ではなく木の上に巣を作っていたから化石に残らない、というわけだ。ヴェロキラプトルのあの凶悪そうな足の爪は攻撃用の武器ではなくて、木登りのためのフックだった、と。なるほどそれはそれでちょっと面白いが、ヴェロキラプトルはそもそも巣を作らなかった、というのはどうだろう。
 自分では抱卵せず子育てもせず、それをオビラプトルに押し付けていた、としたら。そう。托卵である。カッコウがモズの巣に卵を産みつけて子育てまでさせるのは有名な奇習だが、もはや揺るぎのない「鳥≒恐竜」説を逆にたどれば、カッコウと同じことをする恐竜がいたっておかしくあるまい。
 だからヴェロキラプトルの巣は見つからないし、オビラプトルの巣からヴェロキラプトルの卵が見つかる。おお、そうじゃ。そうに違いない。と、俺が思いつくのだから誰かがすでに提唱しているのではないかと書籍やらネットやらあたってみたが、今のところはまだ誰も言っていないようだ。
 まあ、グリフォンのプロトケラトプス起源説同様に俺の勝手な妄想なので、よそで口にして恥をかいてもわしゃ責任取りませんぜ。
 異種間托卵は俺妄想でも、同種間での托卵は確かなようで、オビラプトルの巣からは十数個の卵が見つかるが、一度にそんなにたくさん産めるわけがない。一方で腹に卵を持ったメスの化石も見つかっていて、ひと腹の卵の数は二個。妥当な数だろう。
 これは現生のダチョウの習性だが、子育ての中心はオスであり、巣を作ってメスたちを誘い、誘われたメスたちは入れ替わり立ち代わり交尾して卵を産んでいく。抱卵や子育てを手伝うのは最初の卵を産んだメスだけで、他のメスたちは産み捨て同然に巣には寄りつかないのだそうな。何とも変わった習性だが、これはこれでオスとしては変則的なハーレム状態で幸せそうだ。うむ。俺も母親が産み捨てた長男を高校卒業まで育て上げたしな。あれは幸福な体験であった。だから気持ちはわかるぜ、という話はともかく。
 オビラプトルもどうやらこのような同種間托卵の習性をもっていたようで、十数個の卵は複数のメスが産み捨てた卵らしいのだ。それならば、と思ってしまうわけだが、そこにこっそりやってきたヴェロキラプトルが卵を産みつけていく、というのも全然アリではないか。ダメかな。
 さておき、そんなヒドラへの造型アプローチとしては、当然、羽毛恐竜としてのヒドラを目指した。シャボテン公園のグリフォン石像に準じて映像作品のヒドラも四肢とは別に背中から翼を生やしているが、あれはやはり生物として不自然だ。天使も背中から翼を生やし、悪魔もコウモリっぽい翼を背中に持って描かれることが多い。デビルマンとかな。想像的かつ創造的ではあるが、自分が作るとなると、やはり不自然さが気になってしまう。
 背中の翼は生物として不自然なだけでなく、着ぐるみで表現する場合でも、生えてるだけのお飾りになりかねない。ヒドラの場合は腕と連動してして羽ばたきを表現していたが(ピアノ線で腕と翼をつないだのか?)、テロチルスの翼はスーパーマンのマントみたいで、それで飛べるもんかと突っ込みを入れたくなる。バードンは背中の翼ではなく前肢が翼だったから問題なかった。面白いのは近年のマガバッサーに見られる発想の転換で、前肢がお飾り。演者は背中の翼に腕を入れて名前の通りバッサバッサと盛大に羽ばたいていた。それはそれで悪くなかったが、そこまでして背中に翼が欲しかったのか、とは思う。
 脊椎動物の進化史を振り返れば、魚がエラを肺に作り変えて陸に上がったとき、胸と下腹部にあった四枚のヒレを四肢に進化させた。カエルもイモリも両生類の手足は合計四本であり、その子孫たる爬虫類も哺乳類も恐竜もみんな四肢は四本なのだ。恐竜は前肢を翼に進化させて鳥になった。哺乳類では唯一コウモリが同じ道をたどった。だがみんな手足四本に変わりはない。これは変わりようのない大原則なのだ。どうしても四肢以外に翼を生やしたければ、もう一度魚から進化をやり直さなくてはならない。いや、トビウオの翼(?)だって前肢の前身たる胸ビレだから、魚以前からやり直す必要がある。魚以前すなわち脊椎動物以前に戻れば、無脊椎の甲殻類や昆虫類は六本脚が主流であり、それどころか六肢以外に背中から羽を生やしているやつもたくさんいるじゃないか。ははあ、なるほど。天使は虫の仲間でしたか。
 ネンドソーのヒドラは虫にしたくなかったので、背中ではなく前肢を翼にした。ヒドラの元であるシャボテン公園石像の元であるギリシャ神話グリフォンの元であるゴビ砂漠恐竜化石に敬意を表して、オビラプトルに寄せたわけだ。
 そして格闘場面を演じる相手役にこそ、昆虫怪獣の決定版たるアントラーを選んでみた。

製作後記②に続く。

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②ジオラマと雛と幼虫と
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完成披露

高原竜対蟻地獄甲虫・完成8