蟻地獄甲虫 対 高原竜 製作後記⓵のつづき

「ゴジラ」(1952年)「ゴジラの逆襲」(1953年)、そして「空の大怪獣ラドン」(1956年)に続く東宝怪獣映画の第四弾は、言うまでもなく「モスラ」(1961年)であり、「空の大怪獣ラドン」にチョイ役登場したメガヌロンと、幼虫から繭を張ってクライマックスの羽化場面で完全変態するモスラ。すでにここに昆虫怪獣の最高峰が登場してしまっているわけだが、やはりカブト虫、クワガタ虫といった甲虫系の魅力は別格と言わねばなるまい。
 何と言っても戦国武将の兜のごときカブト虫の威容は文句なしにカッコよく、怪獣的でもある。アノマロカリス対ヤツメウナギではじまった外骨格生物と脊椎生物の捕食被捕食闘争は、翼長60センチに及んだメガヌロンの成虫たるメガニューラ(メガネウラ)が生息した石炭紀・巨大昆虫時代を最後に、ずっと脊椎生物の勝利が続いていて、一方的に脊椎生物が外骨格生物を食っている。エビフライもカニ鍋もうまいし、昆虫は雑食性の鳥類の中心的獲物である。
 たが、カブト虫くらいに強固な鎧をまっとてしまえば、スズメ程度では手が出せなくなる。そんなカブト虫の天敵はカラスだそうな。あと、哺乳類ではタヌキの大好物がカブト虫らしいが、イヌ科のタヌキは木登りができず、地面近くにさえいなければ襲われることはない。
 カラスは飛べるからそうはいかない。枝のカブト虫を叩き落として、地面に落ちたやつをゆっくり食うらしい。賢くも器用で有名なカラスのこと、頭をもぎ取り、固い羽を器用に剥いて柔らかいところだけを食べるらしい。カラスの食事の後には、きれいに食べ残した頭と手足と外羽根だけが散らかっているらしい。
 成田亨によるアントラーのデザインは、カブト虫の頭部にクワガタ虫の大顎を合体させた秀逸なものだが、何よりそれでアリジゴクの習性を持つという金城哲夫によるぶっ飛び設定が大変に魅力的だ。
 確かにクワガタ虫のアゴとアリジゴクのアゴはよく似ているが、クワガタ虫のアゴはカブト虫のツノと同じで、あくまでもオスアピール用のお飾りディスプレイであり、ライバルのオス同士が闘争する際の武器にはなるが、相手の息の根を止めるようなものではない。
 ところがアリジゴクのアゴは捕食用であり、土中に掘ったすり鉢状の落とし穴にアリを引っ張りこんで、あのアゴで捕まえて食う(体液を吸い取る)。真の意味で武器であり凶器なのだ。
 アリにとって地獄、という捕食行動から名付けられたと思われる日本名と同じように、英名はアリに対するライオンという意味でアントライオン。言うまでもなく、アントラーのネーミングはこの英名からきている。
 アントラーは、アリジゴクの拡大版のすり鉢状の巨大な巣穴に生息し、アリではなくて、他の怪獣でもなくて、飛行機を落とす。そんなもん落としても食えんだろうと思うが、まあ、人間社会にアダなしてこそ怪獣、ということでそういう設定なのだろう。しかし空を飛ぶ飛行機は落とし穴には落ちないだろう。と思いきやアントラーは磁力光線を出して、飛行機を引きつけて落とすのだ。科特隊のビートル機も危うく落とされそうになる。そうなると今度は逆に、あのすり鉢状の巣穴には何の意味があるのか問いたくなったりもする。
 劇中ではウルトラマンさえこの磁力光線にとらわれて引きつけられて大顎の餌食になりそうになるのだが、磁力光線に引きつけられるって、ウルトラマンの身体は金属製だったのか。確かに銀色だけども。
 さらにさらに、中近東の砂漠に現れる謎の街バラージの近所に住むアントラーだが、シルクロードの交易地として栄えたバラージがアントラーの出現で旅人が寄りつかなくなって幻の町になり果てた、と設定が語られる。ムラマツキャップも、アントラーはそんなに昔からいるのか! と驚いていたが、そんな昔には飛行機はまだ飛んでないだろう!
 なんかもう、突っ込みどころだらけというか完全に破綻しているようにも思うのだが、それを吹っ飛ばすくらいの魅力をアントラーは持っているのだ。
 そんなアントラーは成虫であろうと思われるが、アリジゴクは幼虫である。成虫はウスバカゲロウ。蟻地獄という恐ろし気な名前の子が大人になると薄羽蜻蛉などと一転して儚げな名前になる不思議。ウスバカゲロウはトンボに似た形状だがトンボのような飛翔能力はない。風に吹かれてあっちにふらふらこっちにふらふら流されるだけであり、そこからの別名は極楽トンボ、あるいは天国トンボ。どんだけ儚げなんだよ。一生のうちに地獄から天国に昇天する振り幅の大きさよ。
 さらに俺としては中学時代の教科書に載っていた「I was born」という吉野弘の詩を思い出さずにはいられない。短編小説風の物語詩で、中学生設定の語り手が父親と散歩中に会話する。「産まれるって受動形なんだ、産まれるは正確には産まれさせられるなんだ」と言う「僕」に、父はカゲロウの話をはじめる。いわく、カゲロウの口はものを食べることができず、消化器官も退化している。そのかわり喉元まで卵がつまっているんだ、とかなんとか。そして「僕」は、自分を産んですぐに死んでしまった母に思いをはせるのだ。
「ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体」という最後の一行が何ともエロティックなイメージを喚起して、そのせいで何十年たっても覚えている。
 何と。カゲロウは何も食わんのか。幼虫時代の蟻食いの悪食はどうしてしまったものかと、生命の不思議を思う。やはり背骨を持たない進化選択をした連中は我々とは本質的に異質なのだろう。
 カブト虫やクワガタ虫、セミなんかもそうだが、幼虫時代は土を食っている。正確には腐葉土であり腐った葉や樹木のエキスから栄養分を得ているのだが、土が食えたら飢え知らずの最強だ。蝶や蛾も芋虫時代は葉っぱをもりもり食う。成虫になったらカブト虫は樹液を舐め、蝶は花の蜜を吸う。これ、食性が洗練された、ととらえることもできるが、正しくは、身体を生殖に特化させ過ぎて消化能力を放棄してしまい、流動食しか受け付けなくなった、と考えるべきなのではないか。
 哺乳類は、特に社会性動物の我々ヒトは、大人になって社会生活をはじめてやっと一人前となる。大人になってからが人生の本番、と思ってしまう。だが昆虫は根本的に違うのだろう。彼らは幼虫時代が人生の本番なのではないか。ひとたび成虫になってしまえばあとは生殖と繁殖だけに目的化された「人生のオマケ」なのかもしれない。
 実際、流動食と点滴だけであとはセックス三昧などという人がいたら、ちょっと付き合いたくないよな。いっそすがすがしいと言えるかもしれんが。
 ウルトラマン第7話「バラージの青い石」劇中では、バラージの町はアララト山のふもとにあり、旧約聖書にあるノアの箱舟との関連が語られる。バラージの神殿には「ノアの神」としてウルトラマンの石像が鎮座しているのだ。「ウルトラマンの先祖は、五千年前にも地球に来て人類を救っていた」と語られるが、のちの最終回39話「さらばウルトラマン」では「私は二万年も生きた」とウルトラマン自身が二万歳であることを明かしており、じゃあ五千年前に来ていたのは先祖じゃなくて本人だろうよ。実はゾフィだったというスピンオフストーリーがあったり、後年(2004~05年)のウルトラマンネクサスの最終形態がウルトラマンノアと呼ばれたりしているが、関連はよくわからん。
 さておき、ギリシャ神話だかアラビアンナイトだか旧約聖書だか知らんが、今日も幻想のシルクロードでは、高原竜と蟻地獄甲虫の食うか食われるかの決闘が行われているに違いない。

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②ジオラマと雛と幼虫と
③本体の彩色
完成披露
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